AIと人の関係。人と人の関係。
ソニーがAIロボットの開発に再び携わるというニュースを聞きました。このニュースから、すぐに思い出したのは、ロボット犬のアイボです。アイボと、そのユーザー(飼い主?)との関係性に強く興味を引かれたのは、壊れたアイボを葬式に出したいというユーザーが多くいたというニュースを聞いた時です。それだけ、アイボに仮想人格(犬格?)を認めていたということです。
アイボに心はあるでしょうか?
(心の定義はややこしくなるので、置いておきましょう。)
さて、これが、AIを内蔵した人型ロボットとなったらどうでしょう?人型となれば感情移入の度合いが高まると予想されます。機能を停止し、再起不能となった人型ロボットの葬儀は、一般化するのではないでしょうか?
人型ロボットに心はあるでしょうか?
人は他者と、当たり前のように、言葉を交わし、時に微笑みあい、時に喧嘩をします。そして、死ねば葬式を行います。
「我思う故に我あり」デカルトが著書「方法序説」内で述べた言葉です。
簡単に言うなら、
「私は何か考えることができる。だから私(の心)が存在することは疑いようがない。」ということです。
自分以外の人間に心はあるでしょうか?
人と人が心を通わす(文字通りの意味で)事は不可能だと私は思います。
それでも、私がつらくて面と向かって誰かに相談した時に、相手の表情や言葉や声の抑揚によって、心が通じたという錯覚が生まれます。社会学や脳科学で説明がつくのかもしれませんが不思議なものです。