伝統を重んじるべきって言う人
伝統は大切にしないといけない。
受け継がなければいけない。
と、いう人に問いたいです。なぜ?
保守的な人は、よくこういう答えをします。
「今までずっとこうやってきた。
それで上手くいってきた。
やり方を変えたら、まずくなるかもしれない。
だから、これからも、このままがいいんだ」と。
でも、ちょっと待ってください。
時代は移り変わり、状況は常に変化します。
変化した状況に、これまで通りで良いと
断言できますか?
労働人口が減少しているのに、
女性は家で家事をしているべきだと言うのですか?
児童虐待を受けている子供に、
親孝行を勧めるのですか?
伝統を重んじることが悪いとは言いません。
ただ、その考えを強いるのは問題です。
GotchのThe Sun is Not Down の 和訳です。
音楽にとって、国境は意味を持たない。
なのに、兵士は世界中で戦っている。
消費者は、周りで働く人を押しやる。
彼女の娘は、疑いようもなく美しかった。
バラク・オバマ、僕は彼の事をよくは知らない。
そして、まだダマスカスに行ったことはない。
有名な予言者が窒息死した時、あなたの人生は疑いようもなく素晴らしかった。
彼女は人生をだましとられた。
ああ、彼らは不思議に思った。どうやって彼らは武器を手に入れたのかと。
国家の束縛された創始者。彼らが彼女のすべてを壊した。
「登る人」はステータスを高めていく。
人生における成功という、「はしご」。
社会で恵まれない沢山の人々。
あなたの人生は、疑いようもなく素晴らしいですか?
国境は音楽にとって意味をなさない?
しかし、兵士たちは世界中で戦っている。
消費者は、働く人を押しやる。
彼女の娘は疑いようもなく美しかった。
彼女は人生をだまし取られた。
ああ、彼らは不思議に思った。どうやって彼らは武器を手に入れたのかと。
国家の束縛された創始者。彼らが彼女のすべてを壊した。
しかし、彼女は、揺らぎ、行ったり来たり、右往左往する。
アラブの歌、曲を突き抜けて。
立派な演奏者たちは彼女を癒していた。
あたかも、夢の中でのように。
「歌」それは彼女の傷を魅了した。
その光は少し落ちた。
しかし、彼女の娘はそこに倒れていた。
僕はそのことを知っているかもしれない。
まだ太陽は沈まない。
「歌」。それは彼女の傷を魅了した。
その光は少し落ちた。
しかし、彼女の娘はそこに倒れていた。
僕はそのことを知っているかもしれない。
まだ太陽は沈まない。
そう、彼女はやりなおせる。
彼女がやり直せることを僕は知っている。
僕は知っている。僕は知っている。
そう、彼女はやりなおせる。
彼女がやり直せることを僕は知っている。
僕は知っている。僕は知っている。
差別問題解決へのスタートライン
差別感情というものを構成する要素に、「生理的に無理」という嫌悪感と、感情を向ける対象がマイノリティであることがあるように思います。LGBT問題や在日コリアン問題そして、障害者問題がこれにあたることから、私の考えにある程度納得してもらえると思います。
さて、私が通っていた小学校には、一年生から六年生までの知的障害児を集めた、特殊学級というものがあって、私は彼らに対し嫌悪感を持っていました。嫌悪感を持つに至る背景は、色々あったのかもしれませんが、今となっては、ただ漠然とあったとしか言いようがありません。
差別というのは、古今東西に、あったようです。中世ヨーロッパにおける魔女狩りは、精神障害者に対する差別を含んでいたようですし、近代ドイツにおけるユダヤ人差別や、米国の黒人差別など、みなさんが知っているような事例だけでもこれだけあります。
したがって、差別感情というものは、ほとんどの人間に備わっているのではないでしょうか。だから、「差別感情を持ってはいけません。」と言われても無理だと思うのです。
大切なのは上記の事を踏まえたうえで、差別感情を共有しないことであったり、主張したり、煽ったりしないことだと思うのです。
差別される側に罪はありません。だから、差別で苦しむ人を減らすために努力していく必要があります。ただ、やみくもに「差別反対」と叫ぶだけでは効果は薄いと思うのです。
事実を事実として認めたうえで、どうすることが非差別者に対するメリットになるのか考えること。そこがスタートラインになると思うのです。
AIと人の関係。人と人の関係。
ソニーがAIロボットの開発に再び携わるというニュースを聞きました。このニュースから、すぐに思い出したのは、ロボット犬のアイボです。アイボと、そのユーザー(飼い主?)との関係性に強く興味を引かれたのは、壊れたアイボを葬式に出したいというユーザーが多くいたというニュースを聞いた時です。それだけ、アイボに仮想人格(犬格?)を認めていたということです。
アイボに心はあるでしょうか?
(心の定義はややこしくなるので、置いておきましょう。)
さて、これが、AIを内蔵した人型ロボットとなったらどうでしょう?人型となれば感情移入の度合いが高まると予想されます。機能を停止し、再起不能となった人型ロボットの葬儀は、一般化するのではないでしょうか?
人型ロボットに心はあるでしょうか?
人は他者と、当たり前のように、言葉を交わし、時に微笑みあい、時に喧嘩をします。そして、死ねば葬式を行います。
「我思う故に我あり」デカルトが著書「方法序説」内で述べた言葉です。
簡単に言うなら、
「私は何か考えることができる。だから私(の心)が存在することは疑いようがない。」ということです。
自分以外の人間に心はあるでしょうか?
人と人が心を通わす(文字通りの意味で)事は不可能だと私は思います。
それでも、私がつらくて面と向かって誰かに相談した時に、相手の表情や言葉や声の抑揚によって、心が通じたという錯覚が生まれます。社会学や脳科学で説明がつくのかもしれませんが不思議なものです。
極限状態での躊躇と決断。アニメを見て思ったこと。
今朝、機動戦士ガンダムユニコーンを観ました。
操縦するロボットの銃の残段数1で、精神的に暴走した女性パイロットと対峙した主人公の少年。
暴走を止めるためには、殺すしかないと主張する、主人公の仲間であり、女性兵士とは敵対する軍の男性パイロット。
少年は、女性パイロットの説得を試みますが、女性の友軍パイロットの死により状況は悪化。
最終的に、少年は殺すことができず、男性パイロットが銃を奪い手を下すことになりました。
少年と男性パイロットの行動。迷い、ためらい、殺さないか、わりきり、切り捨て、殺すか。どちらの行動も、正解、不正解ではないのでしょう。
躊躇と決断。私がその場に居合わせたのなら、躊躇し、結果、暴走したパイロットによって、何百何千という人が殺されたかもしれません。でも、説得できたかもしれません。
書いてて、ちょっと辛くなってきたので、このあたりで、やめときます。
「私、今、善い事してる。感。」の危うさ。
善意でやったことが裏目に出たり、誰にも認めてもらえなかったり、非難されたりすることは多々あるように思えます。
だから、私は、何かするときに、「善い行いをしてるんだ」とか、
「これは正しい行いだ」とか、なるべく思わないようにしようと、
気を付けたいです。なるべく客観的に、相対的に。