老化

最近、あまりゲームをやらない。

以前できたことが出来なくなっていると思い知らされるから。

二十歳が身体的にも頭脳の面でもピークで、

あとは下り坂。

失ったものは知識でカバーしないといけないが、

それにも限界がある。

ろくに社会の役にも立てないし、

この歳で老人みたいな生活してるし、やれやれ。

仕事は続けているが、居場所もやりがいもない。

食べてくためには仕方ない、辞めるわけにはいかない。

愚痴ってもどうにもならないが、他に書くこともないし、

比較的幸せな人生な気もするから、罰当たりかもしれない。

今回はこの辺でお終いにしよう。

医師の高齢化と後継者不足による、かかりつけ医問題

お医者さんの質が落ちた。

最近、通院する機会が増えてきて、にわかに感じたことである。

 

例えば歯科医師

 

本来一回で済むクリーニングを、どういうわけか(実は、理由に

思い当たる節はあるが)四回に分けて行ったり、

施術が乱暴だったり、雑だったりと、およそ、

医師としてふさわしいレベルではないと思うのだ。

 

その医師は、白髪の老医師で、

もう現役引退してないといけない歳に見える。

最近、歯科助手が離職したらしく、代わりに入ってきた方は、

以前の人より劣っているように感じる。

 

もう限界だと思う。

 

後継に道を譲るときはとうに過ぎている筈なのに、それをしない。

おそらく、後継者がいないのだろう。

気の毒なことだが、同情はできない。

十分な医療レベルに達せないまま、患者を治療し続けるなら、

それは、褒められたことじゃない。

私は、別の医師を当たることにする。

 

他に、内科医で、息子に後を継がせた先生がいたが、

息子は息子で、医師に向いていないようで、高度な医療行為は

大学病院へ紹介状を書いて、そちらに任せている。

 

このように、私の町では、かかりつけ医が頼りにならない。

遠出出来ない高齢者は、我慢して、

近所の町医者にかかるしかない。

 

少子高齢化の波は、私の町にもやってきている。

全く、難儀なことである。

夕暮れの鳥の歌詞(私に聞こえたままの)   神聖かまってちゃん

see again our cage

shoot the sting

innocence

scary

 

wait tomorrow

go to gray

go to gray

morning

 

give it back

stay with me

go tomorrow

every

 

single day

it is next to you

 

shall we never mind everyone go a head on who espy head up to decide other time

shall you make a god I love come only everyone now I can needless me

 

英語の文法として、

正しくないと思われる部分があるのですが、

オリジナルの作詞家の性格を考えると、

あえて、狙っているかもしれないな、と

考えられます。

どこからが文の始まりで、

どこまでが終わりなのか分からないので、

勝手な解釈はやめておきました。

 

 

 

ノーベル賞 オートファジーとは何か?やさしく解説

大隅良典さんがノーベル賞を受賞しました。

その研究内容は「オートファジー」。

そのオートファジーについて

易しく簡単に説明します。

 

オートファジーとは、

細胞がタンパク質を分解する機能の一つです。

 

タンパク質は、たくさんのアミノ酸が集まって出来てます。

タンパク質を分解して、アミノ酸にし、リサイクルするのが、

オートファジーの機能の一つ(全てではない)です。

 

「オートファジー」とはギリシャ語で「自分を食べる」

という意味です。

いらなくなったタンパク質をバラバラにして、

そのアミノ酸を再利用することから、

「オートファジー」と名付けられたのでしょう。

 

ちなみに、オートファジーにはタンパク質のリサイクルのほか、

壊れた悪い細胞を分解したり、細菌を分解する働きもあります。

結論ありきの論理構築

あいつには、不祥事を起こした責任がある。

なぜなら、あいつは××を過去にしていたし、

××の決定にも賛同していた。

報道によると××との関係も指摘されている。

よって、あいつに責任があることに、

疑いの余地はない。

 

だが、責任を追及するものは、

あいつが過去に○○していたことに言及しないし、

○○の決定にも賛同していたことにも触れないし、

他者の報道で××との関係が

無いとされていることも、取り上げない。

 

自分にとって心地の良い結論を導くため、

都合の悪い事実や、情報は、

意識的にかどうかは別として、

無いことにしているのである。

 

これは、逆に、あいつが、いかに素晴らしいかを

証明するための論理構築としても、用いられがちである。

あの方、にとって、都合のいい情報だけを示し、

又は、ねつ造し、都合の悪いところは無視する。

 

こういった論理構築には気を付けたいと思う。

性格も遺伝する

遺伝子は、生命体の体を作る設計図。

その設計図には脳の情報も記述されている。

生まれ持った性格は脳に依る。

したがって、生まれ持った性格は、遺伝子による。

遺伝子は、親から子に遺伝する。

したがって、親が生まれ持っている性格は

子に遺伝する。

 

両親ともに、安定した精神を持ち、

知能が高く、楽天的なら、

その子供が、その性質を受け継ぐ可能性は高い。

 

両親ともに、怒りっぽく、知能が低く、

悲観的なら、その子供も、そうなる可能性は高い。

正しい日本語って?ら抜き言葉は、やばい?

本日も当ブログを閲覧頂き有難う御座います。

てか、ぶっちゃけ読んでくれてマジ感謝。

 

冗談はこのくらいで、本題。

ら抜き言葉を使う人が、日本人の過半数に達した事が

話題になっています。

やばいという言葉も、「とても良い」という意味と、

「危ない、とても悪い」という意味とで分かれています。

「正しい日本語の使い方も分からないとは・・・。」

と、嘆いている方も、居るでしょう。

しかし、言語はつまるところ意思疎通の手段なのだから、

通じることが重要だと思います。

 

「られる」という表現は、「可能」を表す場合と、

「尊敬」を表す場合があり、前者が、ら抜き言葉になることで

より、わかりやすくなって良いのではないでしょうか。

「社長は朝食を食べられたがレタスだけは食べれなかった。」

という文も、早晩、抵抗なく受け入れられることでしょう。

ただ、「られる」という表現が尊敬に限定されないと、

文章の読解が難しくなりますね。

 

「やばい」については、人により正反対の意味で

使っているため、意思疎通に齟齬が生じた場合、

事態は深刻になります。

ただ、「やばい」の意味内容は、若者世代では、

いい意味で使われる傾向が強いため、

同世代間のコミュニケーションにおいては、

さほど問題なく、それ故、いい意味の「やばい」も

定着してきたのでしょう。

「最近の若い者は、日本語の使い方も知らないとは。」

と、お嘆きの方。(さっきも書いた気がする)

言葉は時代とともに移ろいゆくものです。

「吾輩」も「そなた」も「つごもり」も、

日常生活で使われることはなくなりました。

故に、日本語の移り変わりを、

面白がって見守ってみてはいかがでしょうか?