差別問題解決へのスタートライン

差別感情というものを構成する要素に、「生理的に無理」という嫌悪感と、感情を向ける対象がマイノリティであることがあるように思います。LGBT問題や在日コリアン問題そして、障害者問題がこれにあたることから、私の考えにある程度納得してもらえると思います。

さて、私が通っていた小学校には、一年生から六年生までの知的障害児を集めた、特殊学級というものがあって、私は彼らに対し嫌悪感を持っていました。嫌悪感を持つに至る背景は、色々あったのかもしれませんが、今となっては、ただ漠然とあったとしか言いようがありません。

差別というのは、古今東西に、あったようです。中世ヨーロッパにおける魔女狩りは、精神障害者に対する差別を含んでいたようですし、近代ドイツにおけるユダヤ人差別や、米国の黒人差別など、みなさんが知っているような事例だけでもこれだけあります。

したがって、差別感情というものは、ほとんどの人間に備わっているのではないでしょうか。だから、「差別感情を持ってはいけません。」と言われても無理だと思うのです。

大切なのは上記の事を踏まえたうえで、差別感情を共有しないことであったり、主張したり、煽ったりしないことだと思うのです。

差別される側に罪はありません。だから、差別で苦しむ人を減らすために努力していく必要があります。ただ、やみくもに「差別反対」と叫ぶだけでは効果は薄いと思うのです。

事実を事実として認めたうえで、どうすることが非差別者に対するメリットになるのか考えること。そこがスタートラインになると思うのです。