小池百合子都知事対、石原慎太郎元都知事

マスコミでは、豊洲移転の問題を巡り、

石原慎太郎氏が責任を追及されている。

そして、小池都知事は、問題を追及する側。

正義の味方、小池百合子、対、

悪の権化、石原慎太郎といったところか。

 

悪者を叩いてスカッとしたいというのは、

一般的な庶民感情だろう。

せこい舛添前都知事。

発言に一貫性のない蓮舫氏、と石原氏。

彼らは格好のターゲットである。

 

テレビマスコミの収入は広告で成り立っている

NHKは別だが)。

広告を集めるためには、視聴率を高める必要がある。

言い換えるなら、大衆受けする必要がある。

したがって、大衆が望むであろう情報を提供するのである。

だから、人気のない人は叩くけど、

人気のある小池都知事を叩くことはまずない。

 

みなさん、お忘れかもしれないが、小池百合子氏は、

日本会議国会議員懇談会日本会議を支援する団体)

の副会長である。都知事選出馬にあたり、小池氏は、

日本会議とは距離を取りたい」という旨の発言をしているが、

人の価値観や心情が簡単に変わる筈がない。

小池氏が都政に私情を挟まないことを願ってやまない。

 

追記。石原慎太郎氏は、日本会議の代表委員だが、

石原氏と小池氏は、思想的には共通点が多いのかもしれない。

この点を、マスコミには報じて欲しいと思う。

 

 

 

生涯発達という虚構と老化

まず、この記事を読んで、不快な思いをする人も

多いと思うので、それでも現実を直視したいという人のみ、

読んで頂ければと思います。

 

発達という言葉の定義にも依りますが、

人間の脳は、20代にその機能のピークをむかえるとされ、

その後、徐々に衰えていきます。

時間の経過とともに経験は蓄積され、

知識量は増えますが、記憶力は低下し、

作動記憶(頭の回転の速さの様なもの)も低下します。

脳には、膨大な知識が蓄えられていたとしても、

ネットや電子辞書で簡単に調べ物ができる現代において、

その価値は、大きく低下しました。

御存知の方もおられるでしょうが、IQの値というのは、

年齢を考慮して算出されるため、20代のIQ100と、

60代のIQ100とでは、意味合いが違います。

 

30過ぎたら、老化を受け入れる心構えをもったほうが

賢明かもしれないと、個人的には思います。

老人を蔑視することを推奨するのは論外ですが、

「年寄りを敬う」という考えは、時代遅れに感じます。

 

余談ですが、敬老の日が制定されたのは1966年らしいのですが、

当時の平均寿命ってどれくらいだったのでしょう。

当時、老人とされていた人は50代位以上と予想するのですが。

 

敬老の日って、「今まで頑張って世の中に尽くしてきた」事を、

敬うって主旨の祝日なんですって。

人間の価値って「これまでにどんなことをしてきたか」と

「これから何が出来るのか」と、では、どっちに比重が

置かれるんですかね。「生きてるだけで価値がある」

という人も居るんでしょうけど。

 

個人的には、過去の栄光を雄弁に語る人に

好感は持てません。

 

何か、論点がずれまくっているけどご容赦のほどを。

 

 

 

責任の所在は、都知事か?都職員か?

豊洲市場の汚染対策として、コンクリートの箱を埋める案を、

石原慎太郎元都知事が提案していた事が明るみになりました。

しかし、石原氏本人は、「下から来た案を出しただけ」と、

言い、真相は分かりません。

嘘つきなのか、記憶違いなのか、実際そうなのか。

石原元都知事の言うことが正しいとすれば、

都の職員に責任がある事になります。

 

さて、コンクリートの箱の中に、アルカリ性の液体が

溜まっていることがわかりました。

酸性雨という言葉はありますが、アルカリ性雨って

聞いたことありません。となると、この液体は、

雨水ではなく、地下水の可能性が高いです。

ただ、ベンゼンが含まれているかどうかは、不明。

 

話を戻します。責任の所在が分からないのは、

都政の透明性に問題があるからです。

意図的かどうかは別にして、責任者が特定されない

システムが維持されています。

小池百合子都知事には、都政の透明化を望みますが、

公約で、その事に触れていた記憶がありません。

やはり、このシステムは続くのでしょうか?

 

責任者が分からない件で、記憶に新しいのは、

新国立競技場問題です。

私は個人的に森喜朗会長に責任があると感じていますが、

ここにも、例のシステムがあるらしく、

断定はできません。

もしかしたら、広範囲の人間に少しずつ責任があり、

その責任者全員の責任が問われないから、

今のシステムが変わらないのかもしれません。

責任者が、システム変更の権限を

持っているのかもしれませんしね。

となれば、利害関係のない第三者が、

このシステムを打ち壊すルールを作る事が、

「責任誰も取らない問題」を解決する手段となるでしょう。

言うわ易し、実現化は程遠いですが。

 

追記。誰だって自分の身が可愛いし、保身に走ることもあります。

悪意をもって、悪事を働いている人なんて、極まれでしょう。

怒るより、冷静になって、

建設的に問題解決にあたりたいものです。

 

東京ゲームショー開催。VR技術と3DCGの進歩が生み出すもの。

誰でも、美女やイケメンになって、遠くの人と

お喋りを楽しむ。遠くない未来そんなことが

実現するかもしれません。

 

どのように実現するのかというと、

まず、フェイシャルモーションキャプチャー技術を使い、

顔の表情をデータ化します。

(フェイシャルモーションキャプチャーとは、

人の顔にセンサーを付け、

顔の動きをリアルタイムで読み取る技術です。)

そして、そのデータを高精細の3DCGでできた人間に

反映させます。この3DCGがアバターとなります。

お喋りをする両者は、ゴーグル型ディスプレイを装着します。

ディスプレイにはリアルタイムで相手のアバター

映し出されます。喋ると唇の動きが読み取られ、

あたかも、相手がそこにいて、喋っているかのような

現実感が味わえます。

というような具合です。

 

アバターを美男美女にする必要性はないので、

自分の好みで、動物なり、架空の生き物なりに

するのもよいでしょう。

 

最近、CGアーティストユニットのtelyukaが作成した

Saya」という3DCGの女子高生が、実際の人間と

見まごう程の出来栄えで、話題になりました。

詳しくは、こちらをどうぞ telyuka

 

見た目で他人を判断する人に対して、自己アピールを

するには、有効な技術です。

また、自分の外見に自信がない人にとっても、

魅力的な技術ではないでしょうか。

 

今回の東京ゲームショーでこの技術に繋がる発表があるか

わかりませんが、興味を持って見守りたいと思いいます。

豊洲移転と小池百合子都知事の誤算

「盛り土。こんなはずじゃなかった。」

 

小池百合子氏の都知事選の選挙活動を思い出してみて、

印象に残るのは「緑色の物を身に着けて来て下さい」という、

選挙戦術。

有権者との一体感を生みだそうとしたのでしょう。

また、自民党との対立構造を強調し、

自民に見捨てられた悲劇のヒロインとでも言いたげでしたね。

人心掌握に長けていても、都民の利益を優先した都政を

運営するとは限りません。

 

あと、築地市場豊洲移転を公約していたと記憶している方も

いらっしゃるかもしれませんが、

「移転は、一度立ちどまって考えなければならない」

とは発言したものの、「移転を中止する」とは言ってません。

ここに、小池百合子候補の移転を中止に対する

本気度が表れていたように思うのです。

私の邪推かもしれませんが、汚染調査をすれば、

移転に問題なしという結果が出て、移転を実行する。

そういう計画だったのではないでしょうか。

 

しかし、調査の結果、例の盛り土問題が明るみになり、

計画の修正を検討する必要に迫られていることでしょう。

それでもなを、移転を中止するのではなく「延期」したことに、

私は、小池都知事の本気度を疑っています。

 

ここで、中止の判断を下せば、小池劇場は更に盛り上がり、

東京都の闇に立ち向かったヒロインとして、

確固たる信頼を築き上げることでしょう。

無論、移転を実行したとしても、何か理由づけして、

正当化するわけです。

そもそも、「移転中止を明言」してはいないので

公約違反にはなりません。

 

何せ人心掌握に長けている小池百合子氏のことです。

何があっても、都民やメディアの支持を失わない自信が

あるのかもしれません。恐るべし、小池劇場。

 

追記。豊洲の問題は、汚染だけではなく、交通インフラ、

市場の使い勝手の悪さ(割り当てられるスペースが狭くて

マグロの解体ができない)もあり、その点は、

汚染問題の影に隠れてしまってますね。

 

 

 

人間が人間を差別する理由

差別には、様々なものがあります。

国籍、人種、障害者、性別、等。

ほとんど、生まれながらに備わったもので、

本人には、どうしようもありません。

 

国籍でいえば、蓮舫さん。在日コリアン

人種でいえば、欧米でのアフリカ系やアラブ系の人。

障害者に関しては、ネット上で差別発言が多くみられます。

性別だと、特に年配の方にありがちな、女性に対するもの。

 

国籍、人種、障害者に関する差別の共通点として、

被差別者が少数派であることがあげられます。

そして、差別する側と、される側がはっきり区別できます。

被差別者達を叩いても、被差別者達から反撃される恐れが

数の論理から考えて少ないのです。

 

「あいつらのせいで、俺等は不幸なんだ。」

「あの人たちは、不当に優遇されてます。」

そういって日々のストレスを抱えた人が、

安心して攻撃できる対象を探す。悪者を探す。

 

ある意味仕方のないことかもしれません。

自分の不幸を誰かのせいにして、不満をぶつけないと、

生きていけない人も居るでしょう。

ただ、それでいいとも思いません。

差別される側には、何の責任もないのです。

生まれたときからそうだったのですから。

 

どうすればよりよい世の中になるのか、

それとも、このままの世の中に甘んじるのか、

答えは出ません。

パラリンピックと感動と差別

障害者について、本音で語り合う機会があるでしょうか?

多分、親しい友人とは、その話題を避けるし、

ネット上で本音を言うと炎上するでしょう。

何故かといえば、障害者に対して、

本音レベルで肯定的感情と、否定的感情を

持つ人が分かれていて、それが露呈するからです。

肯定的なそれは何か?

障害を持ちながら、健気に、頑張って生きている。

否定的なそれは何か?

何となく気持ち悪い。

 

パラリンピック障害者スポーツの祭典です。

オリンピックとは別に、パラリンピックを開催することの

背景には、障害者と健常者は違うという、差別意識が、

あるからだと思います。

装具をつけることで、記録が向上する協議は別として、

ボッチャなんかは、健常者と障害者が対等に戦えるし、

車いすバスケなどは、健常者が車いすに乗って

プレイすることも可能ですから、

一緒に協議に参加すればいいわけです。

 

パラリンピックについて、本音で語ることは、

避けたほうが賢明でしょう。

要らぬ衝突を産む可能性があるからです。